肉を切る人
ブラジル流の肉を食いに行ったら、アフリカ帰りの兄ちゃんが働いてた。
なぜ肉を切っているのか、と聞いたところ
アフリカで食料系の援助をやっていたが、たまたまレストランのオーナーと知り合いで、「お前は肉を切れ」ということで肉を切っているということ。
転機なんてこんなもんなんだよな、と思う。
「やりたいこと」とか「夢のために」みたいなちょこざいなフレーズに踊らされている中毒者が多すぎると思うけど、世の中仕事は仕事でドライに接している人はたくさんいる。
アフリカ人は踊ることがメインで仕事は「食べるため」である。
いいなあアフリカ。とても人間らしくて未来的。
アフリカに行きたいなーと、今心から思っている。
YO LA TENGO
本日YO LA TENGOのライブ。
ライブは久しぶりだったけど、一発目からド・ノイズでもっていかれた。やっぱりノイズはいい。健康だもの。
彼らはいろんなとこで見たけど、なぜか印象に残っているのが、ひとつまえのアルバムのポスター。
このポスターはわたくしがボアダムスを見に行った09年のNYにたくさん貼ってあったため、サブリミナルのように脳内にインプットされている。
工事現場の壁に貼ってあったようなポスターの寂れ具合がなんだかとても彼らのあり方を示していた。
ライブを見るのは前回の単独以来だから5年ぶりかな?
当時のポスターのように相変わらず謎な世界観が横溢していて、あのポスターを感じられてよかった。
日本もまだ広い
復帰しました。
人が休んでいる間に仕事をするというポリシーのため、連休中は北アルプス界隈の旅館で布団を畳んだりしていた関係でまったく電波が不通でした、ハイ。
何よりフムフムと思ったのはツアー客と呼ばれる方々であった。
面白いなーと思ったのが、添乗員の質でツアー客の品が全然違うことであった。
2時間遅刻したうえに出向かえが無いと文句を言い、料理が出ないとクレームを言って皿の出し順にまで愚痴っていた添乗員のとこのツアー客は最悪であった。
何度でも言おう
「最悪」
であった。
我々が中華的な観光客に対して持つイメージと同程度の品格であった、とだけ言っておこう。
日本人にもこんな奴ら、まだいたんだな。
日本もまだ、広い。
乗り遅れました、サー②
納得いかなかったから「まだ間に合う」の一点張りで強行。
兄ちゃん達はモゴモゴしながら、
「責任者って…なあ?」とかやってるうえ、
「あ、ちょっと電話つながらないし、いないかも…なあ?」とか言ってるので
「えーからそいつんとこ連れていかんかい!」と言ったところ
兄ちゃんその1が渋々案内。
そこに現れたのは、鬼の形相のおばちゃんスタッフ。
睨まれて両手を組んで殊勝な態度の兄ちゃん。
はっはーん、さては恐れているな。
ということで状況説明以降は直接交渉したところ、ブツブツ文句言いながらも「どの便だい!?」と聞いてきたので、しめしめであった。
その後お姉ちゃんスタッフと激走し、何とか離陸直前に搭乗をしたのであった。
乗り遅れました、サー①
どこに行ってもおばちゃんは最強である。
バンコクからビエンチャンに行ったとき、リアルに飛行機を逃しそうになった。
大量のテレビを運ぶインド人に囲まれ(後に彼らは「テレビ密輸入ツアー」だということが発覚!)てしまい、1時間半前に着いてたのに、カウンターにたどり着いた時には若い兄ちゃんのスタッフに「あなたは乗り遅れました、サー」と言われ、ブチ切れた(演技だけど)
「おいこら、わしゃ1時間半前に並んでたのに、インド人捌かないあんたらが悪いんじゃろうが~~!!」
「残念です、サー」
「残念じゃねーよ!まだ出発してねーんだから乗せろ!」
「残念です、サー」
「コラ、責任者出さんかい、ワレ」と凄んだところ…
(続く)
ホタルノヒカリ
ラオスと交信をしていたら、5月末、ラオスでは蛍が見れるという。
そういえばマレーシアでも蛍を見た。
この時は珍しく友人と旅行した。と言っても、クアラルンプールのでっかい旗の前に集合!という掛け声のもと、電波少年的に出発から遭遇までを自撮りするというイベントであった。
このときはじめて人と旅行する楽しみを知った。
象に乗るなんてひとりではぜったいやらなかったはずだ。
蛍もひとりではぜったいに行かなかった。
川の茂みに集合する蛍はイルミネーションのようだった。
アメリカに住んでいた時も庭に大量の蛍が発生していた。
芝生に生息するこの蛍は、地面から沸き立つようでまた違った風情があった。
蛍の光は人の記憶を喚起する。
ゴミを、拾う
ゴミを拾っていて思うのは、日本にはゴミが無いなあということである。
いやボランティアとかで拾っているわけではなく、渋い色合いの壁紙とか剥げかけのテープを見ると回収したくなるのです。
海外で町を歩くと次々お宝なきれっぱしが風に吹かれてやってきてナイスである。
拾いもので思い出すのはイエメンの日本人青年。
偶然道すがら一緒に歩いていたのだけど、ことあるごとに砂をキックして地中のカードを拾っていた。
ロトリー的なやつだけど、それを見ていて「拾う」というのは欲求のひとつなんだろうなあ、と思ったもの。
彼とはサユーンのスルタン博物館の前で蹲って砂嵐をやりすごした。全く名前も覚えていないけど、何となく印象的であった。