意味のこと
絵を描くときもずいぶん意識的なこともあったけど、最近はもうどうでもよくなって、かっこいい感じになればいいと思って意味をすっぽり捨てるようにしている。
そうはいっても意図は入ってくるのだけれど、なるたけ口をあけた状態であんぐり行くのがいい感じだと思っている。
これはつまり文学に対する詩と同じような話で、文学は観念的であるけど、詩は稲垣足穂が言うように、歴史性に対して垂直に立つのである。
詩はずばっと本質を射抜くのにたいして、文学は文字で実体を浮かび上がらせるというじつにまどろっこしい方法をとるのである。
いってみればネガポジの関係で、ネガの文学がポジの実体を照らすとも言えて、ぼくはずいぶんこの裏を知ることで本体を見ようとするアプローチをさんざん取ってきた。なににつけても人の反対をとってきたわけで、太陽は半分だから夜があるんだ、なんて言ったりもしていた。
まあ、そういうのもけっこう好きで、若い時は特に観念的であろうとするのだけれど、あるときからもうホントめんどくさくなってしまった。
なんでそうなったのかはじぶんでもよくわからないのだけれど、とにかくつかれてしまった。
もういいじゃないか。絵を描いて、色を重ねるのが楽しいだけだ。
でもそう思ったら、ずいぶん楽になったし、方法にもこだわらなくなった。塗っても貼っても、音を出しても、どれも同じことだ。同じレイヤーにいる。
なので、絵を描くことはとても個人的で楽しいことになったのだけれど、意味を持ったらどうなるのか、またコンセプトから入ることも楽しいかもな、と思ったりもしているが、当面はこのままでもよいと思っているのである。