からだの感覚と表現
ひさしぶりに、平日ヨガにいってきましたよ。
まあやっぱりきもちえがったわけですが、
クラスに行ったら、ドレッド風のラテン系の男の人に急に声をかけられたのです。
「ハンドスタンド、できる?」
いや、まあできたりできなかったりだよ。というと、ちょっとやってみて。で、ぼくがまげて、っていったら上半身を前に傾けて、アーチっていったら少し背骨を丸めてみて。
ということになって、わけもわからぬまま、ハンドスタンド。
あごを胸のほうにぐーっと引いて、つま先天井の方にグッとのばして、両足はなさないように固めて。で、床見てごらん。
あ、ほんとだ!安定した!
話がとんとんとーん、と進んで、いっぺんにできましたとさ。
からだの感覚ってほんとにおもしろい。
もともとヨガに興味をもったのも(もう5年以上前だけど)、目の動かし方ひとつでからだの動き方が変わったことを実感したからなんですね。
このときの感覚はとてもよくおぼえていて、からだのちょっとしたちがいで、ここちよさみたいなものがぜんぜん違うんだなーと感じた。人間のからだも動く構造物だから、からだぜんぶでじぶんなんだと思う。
厄年っていうのも、やっぱりからだの変わり目の統計だしねえ。
からだの構造のひとつひとつがわかれば、精神のことがわかる、って(これも)横尾忠則が言うてましたけど、ほんとそうだと思う。
表現というのは、やっぱりからだから来ているから、からだのことがわかってくると、表現の仕方や感じ方が敏感になるように感じるのです。
表現をするひとで、からだに意識をむける人が多いのは、感覚的にからだとつくるものの相関がわかっているからじゃないかなあ。
トンチ、というスティールパン奏者がいるのだけれど、彼女は以前タイマッサージの修行をしているとき、演奏することとからだのことがパッとつながったという。
ヘレンケラーが水に初めて触れたとき「ウォーター!」と言ったときのように、からだの知覚と言語化されたものとがアクセスしたのだそうだ。
とても面白い話だなあ、と思ったのです。
(トンチちゃんのスティールパンはすばらしいですよ!)
このへん、もっと深く掘ってみたいテーマだなあ、と常々思っていて、表現(言語化)とからだのつながりを意識して生活したいと思うわけです。
そうそう、ちなみに週末にドレッド兄ちゃんはこんなことをやるらしい。
【初級】AcroYogaDance Beginners WS - Tokyo - with Eugene and Pip
アクロヨガ、興味あったらいってみるよし!